ひまわりBちゃんのよもやま話

小さい島で生まれて、今は九州本土(長崎)で暮らしています。寅年の還暦女です。母で、妻で、嫁で、現役助産師『ひまわりBちゃん』の日々の出来事を綴ります。共感していただけたら幸いです。

お茶のお勉強に行ってきました!🍵

こんばんは。 ひまわりBちゃんです。 

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今日はお休みでしたので、お茶🍵のお勉強に行ってきました。

嬉野市|うれしの茶交流館「チャオシル」 ←ココ

勉強したのは

1、日本におけるお茶のルーツや嬉野茶の歴史

2、お茶の栽培〜お茶ができるまで

3、お茶の淹れ方

デス。

歴史を勉強してみて、「へ〜!!」と思ったことをことを2つだけ書いてみます。

1、鎌倉時代に、栄西(臨済宗の開祖)が三代将軍源実朝に健康増進のために抹茶法を進めた。

🌟ちょうど昨日、大河ドラマで鎌倉幕府の三代将軍が誕生した場面でしたので、「そうなんだぁ〜。」とちょっと嬉しくなりました。

2、江戸時代の終わりに、長崎生まれの大浦慶という女性貿易商がいた。明治政府は、日本茶輸出貿易の先駆者としての功績を認め、茶業振興功労賞と賞金を贈った。

(以下ウィキペディアより引用)

嘉永6年(1853年)に通詞・品川藤十郎と協力して出島にてオランダ人・テキストルに嬉野茶を託し、イギリスアメリカアラビアの3ヶ国へ茶を送ってもらうことにした。この時、9斤の茶葉を三階級に等分し、各階級1斤ずつ各国に割り当てた。そして同年9月、テキストルが出島から出港した。

その約3年後の安政3年(1856年)8月にイギリスの商人W・J・オールトが来航。そこで、テキストルに託した茶の見本を見せ、巨額の注文を受けた。嬉野茶だけでは足りず、九州一円の茶の産地を巡り、やっとのことで1万斤を集め、アメリカに輸出した。これが日本茶輸出貿易の先駆けとなった。文久元年(1861年)に南北戦争が勃発し、一時的に輸出は停滞するが、慶応元年(1865年)に終結した途端、爆発的に増え、翌年には長崎からの輸出はピークに達した。安政から慶応にかけての約10年間は大浦家の全盛期であった。

日本茶輸出貿易に成功した慶は名が知れ渡り、坂本龍馬大隈重信松方正義陸奥宗光らと親交があったとされる。

長崎の偉大な女性を、恥ずかしながら今日まで存じ上げませんでした💦。

今日、勉強できてよかったです!

お勉強の後は、ティータイム♪♪

喫茶コーナーはこちらです。

目の前に広がるお茶畑を眺めながら、

お茶とお菓子をいただきました!

(おいしい淹れ方を教えてくださいます。)

喫茶コーナーのメニューはこちらです。

嬉野に行かれた際は是非訪ねてみて下さいね。

オススメできる癒しの空間です😊👍

次回私は、お茶の染め物を体験しようと思っています!

🌻覚書 昨日見た映画🌻 

カミヤ・モブリー〜私の母は誘拐犯〜(2回目)

花束みたいな恋をした

🌻覚書 今聞いている本(オーディブル)🌻

鉄の骨(池井戸 潤)

お読みいただきありがとうございました。

明日もいい日になぁ〜れ😊。

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